俺的ハント症候群の日誌

何気なくちょこちょこと。闘病日誌と言うより日々の記録的な。

24日目

最近だんだんと顔の表情が

思ったようにできるようになってきて

以前の生活を取り戻しつつある。

普通って素晴らしい。

当たり前って当たり前じゃないのよ。

今回改めて思ったよね。



今朝、気づいたのは

口が広がるようになってきた。

笑顔ができるようになってきたようだ。

笑えているかはちょいわからんが。



だんだんと自信もついてきたし

前に書いた(7日目の日誌)

顔面神経伝道速度の検査、

やってみたいなぁ

今どれくらい回復してるのか

数値で出るしやってみたいね笑

今週末受診なのである意味楽しみ。

耳はまだ。。。

明日耳栓が届きますw

 

 

 

23日目

ところで前回は復帰後の夜勤について

少し書こうと思ったがうっかりした。

結論から言って病気が関係して

夜勤に支障が出る事は無かった。

ただ、3週間も休んでいたので

体力が戻っていない為、夜勤だけではなく

日常に於いても疲れやすくなっている。

少し頑張ってジムに通わないとだな。




今日は日曜という事もあり家族で外出。

出かける前、車のガラスに映る

自分の顔を見て久々顔の体操をしてみる。

おでこや鼻の横にしわを作ったり

口笛を吹くように唇を尖らせたり。

だんだんとできている。

口笛も吹けるようになっている。

3週間前に自分に教えてあげたい位に

麻痺の程度は回復してきている。

不安な夜もあったけど

何とかなっている。

喜び過ぎず、少しずつ

これからも経過を見ていきたい。



22日目

22日目は夜勤明けだった。

なので昨日の経過を今頃。

今日のは今日でまた夜に。




昨日は無理言って友人と飲みに出た。

久々に飲む酒、と言うよりは

飲みの場は楽しかった。

話して笑っている事も今の自分にとっては

リハビリになるのかなとこじつけて

飲みに出た笑

表情もさほど気にならなくなり、

昨日見てもらったも

「入院当初より全然いいよ」と。

表情は確実に戻ってきている。

自分ではわかるくらいの

表情の違和感はまだあるけれどね。

舌にかかった麻酔も切れ始めている。

そして昨日は

発症後初のカラオケを歌った。

やはり耳はまだまだ駄目なようで、

自分の声も頭の中で反響する。

バンドの先輩に耳栓を紹介してもらった。

それを先日

ネットで頼んだので待ち遠しい。

耳栓すればバンド練習も大丈夫かなと。

雪解けとともに気持ちの靄も

一緒にとけていくようだった。

21日目

復帰後、初の夜勤中。

日中はダラダラ夜のために体力温存。

夕方近くなってから行動開始したのだが、

おでこのしわが先日より自然になってる。

鼻の所にしわを作る、

クシャっとした表情も

前より進化している。

ウィンクもあまり力まないでもできてる。

左目の開きかたは不完全だけど。




3週間前の発症直後は全くできなかった。

右の麻痺だから右かと思いきや、

右に力はいらないので力む事ができず

左をしっかりとあけられない。

という仕組みだ。

口においても同様のことが言える。

頬を膨らますのも同じ原理。

空気が漏れるのも溢すのも右。

なので左の頬は膨らまない。

なってみないとわからん事もあるね。


 

 

 

20日目

何となくだけど

舌の感覚、味覚が

戻ってきているように感じる。

依然として麻酔中のようなイメージ、

的な感覚である事には

変わりはないのだけれど。

味覚に関しては少し嬉しい。

耳はまだだな。。

できればそこが

優先度高いんだけど俺。




今週から仕事復帰している事もあり

職場の皆の顔を見るとなんだか嬉しい。

あまり今まで経験したことのない感覚。

久々だしね。病み上がりだしね笑

まぁ穏やかに働けているので

うれしい限りです。

あー、飲みに行きたいw

 

 

 

19日目

人に麻痺の症状を説明している時に

気づいたんだが、

おでこのシワができるようになっている。

右ね。麻痺の方。

まだ左右対称ではないけれど

少しずつ。

あと、知り合いのご家族が

俺の少し前に顔面麻痺発症したらしく

話を聞くことができた。

ご家族なので直接の知り合い

と言うわけではないけど

色々情報交換していきたいなと思った。

話している事はリハビリになる。

まだ顔がひきつっているけれど

あんまり気に亡くなった(笑

慣れって・・・

 

 

 

音楽について

俺の趣味は高校の時から音楽、

バンドをしてる。

学生の頃の俺を知っている人からは

久々に会っても

「まだ続けているの?」と聞かれる。

続けてはいる。たった今の現状は

メンバーを探しながらだが、

しっかりとやっている。

今日先ほど、TVの音楽番組で

大黒摩季が南富良野の台風被災地を

訪れて元気を届ける、という趣旨の

サプライズライブを行っていたのを見た。

去年のライジングサンにて

大黒摩季が来たので行ってみた。

先ほどから書いていて何だが、

実は大黒摩季は音楽的嗜好からは外れる。

大きく外れる。彼女が復帰して

どんなステージをするのかを

観たくて行った。

曲は当時親しかった女子から

散々聞かされたので知っていたし。




話を戻すが、今回のTVを見て

なんだか泣けてしかたなかった。

音楽のヒットチャートを今も最前線で

走っている訳ではない彼女に対し、

俺を含めて

「あぁ懐かしいね」

「あったね、そんな曲」

と一瞬の振り返りをして

すぐ風景に戻してしまうだろう。

恐らく俺もそうだった。



ここからは俺の推測が殆んどだと思うが、

そんなのも含めて大黒さんは

受け入れたのかなって思った。

「ららら屋さん」

を受け入れ、それでも、そんなんでも

元気になってくれる人がいるのであれば

歌い続けようと思ったのかなって感じた。

歌うことで明日が拓けるわけではない。

失ったものが戻るわけでもない。

陽気に歌って忘れようという事でもない。

何とも言えないんだが、

形には無い歌なんだが時として

チカラを与えてくれる。そんな気がする。




冒頭に書いたが、

俺はバンドの印象が強いと思う。

去年、高校の同窓会をした。

すごく楽しくあっという間に

「あの頃」

に戻れた。二次会の最後に幹事として

挨拶をした時、

「歌えー!」

って誰かが言ってくれたのだが、

何だか躊躇して断ってしまった。

それがすごく引っかかっててね。

今日の大黒摩季を見た時に自分と重ねて

何だか恥ずかしくて泣けてしまった。

俺の歌で「あの頃」を

より思い出してくれるのなら、

なんであの時歌わなかったのかと

恥ずかしくなった。

俺の場合は幸いまだ取り戻す機会が

何度もあると思う。これからは

断らず歌っていきたいと思った。

そして、バンドの方も今年は

積極的に活動していこうと決めた。