俺的ハント症候群の日誌

何気なくちょこちょこと。闘病日誌と言うより日々の記録的な。

9日目

昨日点滴のルートを抜いたので

今日と明日は翼状針

その方が精神衛生上でも良い。

だんだん量も少なくなり45分程度で終了。

顔面のリハビリ体操も続けている。

これがだんだんと

機能していくようになるはずなんだが、

日ごと目に見えた進歩がない分、

気持ちは後ろ向きになる事もある。

でもそこはやるしかないので

続けるしかないよね。



顔に関してはあまり変化なし。




昼食を終え食器を片づけていると

友人二人がお見舞いに来てくれる。

昨日同級生と飲んでたらしく

大変羨ましい、大笑いした時間だった。

その後かぶるように身内も来てくれて

午後はずっと話をして過ごした。

あっという間だった。

こうやって一生懸命に誰かと話す、

顔の表情気にしないで笑う、

ここんところ1週間の俺には

あまりない事だったなと感じた。

ある意味で誰かと話すって事が

一番のリハビリだったのかもしれない。



8日目夜

今日は点滴のルートが痛くて

外してもらう。

夜中に何度も目が覚めたのでね。

これで少しは寝れるかなぁ

そして昨日に続き顔のリハビリ。

リハ技師さんに

「口笛の表情が上手です」

と褒められた。

補助なしでできた。

今はひとつでも褒められると嬉しい。

またできる事増えればいいな。

 

 

8日目朝

8日目朝にしてできた事。

右顔面麻痺なので口元が緩い。

よく「飲み物こぼしますか?」

と聞かれるけれど、

いわゆる

「ひょっとこぐち」

で 溢さぬようにこらえてる。

今朝の朝食時に味噌汁飲むときに

ごく自然に飲む事ができた!

ひょっとこぐちじゃ無く

ごく自然に。

できること増えていくのかなぁ

リハビリ開始したからかなぁ

とにかくうれしい朝でした。

 

 

 

7日目

今日は顔面神経伝道速度の検査と

初めてのリハビリがあって

顔の表情筋を動かすリハをした。

検査は電極を顔に着けて電流を流し

反応があるかの検査なんだが、

「で、電気つよくね?いたいよ?」

ってのが正直なところの感想。。

こんなもんなんでしょうかね。。

寝台に寝かされて何やら

教えてもらいながらやってるのね。

「アースはおでこ、鼻はプラス、左は~」

とか聞こえてくると構えるじゃないスか。。

そして少しビビッてたら今度は

ビリビリするやつを頬に当ててる。

その時点で結構グイグイ。。

できる事ならもうしたくない検査No.1笑。

その後はリハビリ。

顔の表情動かすって結構大変だったのね。

何気なくやっている表情は

意外と色んな事の積み重ねでできる

連続した運動だったんだね。

これから3回/日やっていくか。

意外と汗かいた。

意識すると結構疲れるのねコレ。

 

 

さて、

今日で丸々1週間か。。

普段引きこもりの俺でもさすがに長い笑

今日もお見舞い来ていただいて感謝です。

最近あまり連絡取れてなかった方からも

心配の連絡頂いたり、

ホント幸せもんです。

この場を借りてになりますが、

ありがとうございます。

頂いた優しさは次の、

優しさを必要としている誰かに

今度は俺が一生懸命になる事で

恩返ししていきたいです。

 

 

 

今年の311

明日の3/11を前に

TVでは特集をやっている。

ワイドショー漬けの今は

 

よく見る事になる。

中でもすごく心に留まったのは

生きてやろうじゃないの!」

と言う本の紹介だ。

TVのディレクターのお母さんで

地元福島にて被災された方の手記。

今日見た放送ではほんの一部しか

紹介されていなかったんだろうけど、


震災から6年経った今、

改めて考える時間ができました。



俺も実際、身内の用事で

震災後に仙台福島を訪れた事があった。

TVで見たような、

あるいはもっと何も無くなった

広大な大地を目の当たりにして

「元々ここには・・・」と

イメージを膨らませるのが

その時できる精いっぱいだった。

言葉は出なく、

不用意に出しては

いけないような気もした。



話を戻すが、

著者の武澤順子さんは手記の中で

震災直後、

「3月11日 あの時猛り狂い 咆哮し 大地を襲った海は 本当にこの海だったのか 今は静かに潮騒の中に 白い小さな波頭が見えるだけ・・・ 眼の前のガレキの山は当分消え去りそうにない 自然の前に 人は何と無力なことか 何百人もの命を一瞬にして奪ってしまった・・・ 悠々と流れていく雲よ お前は何を見ていたの 海は怒り 大地が鳴動するさまを 小さな蟻のように 人々がもがき苦しむさまを 黙って見ていたの? 大自然の怒り 人間は小さな生き物かもしれないけれど 人間よ たかが人間 されど人なり」

と語り、その後の心境の変化として

「おーい雲よ……
あの日の雲じゃないだろうけど、
あの日の私でもないんだよ。
あれから……しっかり生きてきたんだよ」

 

と書き綴っている。

その行間をしっかりと

読みたいなとも思ったし、

今迄や今の自分の状況と照らし合わせて

考える事ができそうだと思いました。



俺もあの日の俺じゃない。

「あの日」はいつなのか

みんなそれぞれの「あの日」はある。

立ち止まってでもいい、

これから一歩でも前に進んでいけたらと

そんなことを思う今日でした。


 

6日目

症状としては落ち着いてきていると感じる。

目の渇きも早く寝れば何とかだし、

口から飲み物を溢す事は

今の所無い。

ただ、朝食と昼食にて

味が濃すぎて食べれない程に感じた。

あれ何なん?

気にしなくていいみたいだけど。

いつもの点滴はあるものの

検査も何も無い一日だった。

明日は顔面神経伝道速度の検査があり

リハビリも始まる。

口はまだ動かないけどね。

麻痺した神経はざっくりだけど

一日1ミリ程度回復していくみたいだ。

耳の下のあたりから

一番近くの耳や目と進み

口元は3か月~半年かかるのかなぁ

治るのであればよし。

だね。




自分は今、介護の仕事をさせて貰っている。

もう何年もやっている仕事だけど、

今回の病気、自分の症状を体験して

どう仕事に反映してゆくのだろうか。

仕事上、今まで理屈は分かっていたし

色々な人をみてきたし関わってきた。

しかし自分自身、

麻痺の経験は今回が初めてで

体の感覚はあるものの、

自分の意思で動かない
(今は右目だけつぶる事が出来ない)

って経験をした事が無く、

最初は恐ろしくなった。

加齢や障害、負の連鎖のイメージ、

麻痺が残り治らない恐怖。

今もまだあるけど、

そこは考えていても仕方なし

立ち向かうしかない、

と自分に言い聞かせてる。



話はずれたけど、

今回、自分の体験を通して

単純に優しくできるかなって。

今までよりも、「より」その立場に立って

食事の介助や言葉が出ない時に

引き出してあげる事や汲み取る事、

入院前に比べて優しくなれたらなぁ

とか思った今日でした。

まじめか。